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軍艦島

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長崎港から南西に約19キロの沖合にある「端島(はしま)」こと軍艦島は、建物が立ち並ぶその姿が軍艦「土佐」に似ていることから、そう呼ばれるようになりました。
1916年、ここで日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅が建設されています。


軍艦島




軍艦島で、1810年頃に石炭が発見されてから、1890年、本格的に三菱合資会社が海底炭鉱として採炭を始めました。
最盛期には約5300人がこの小さな島に生活をし、働いています。
島の大きさは、南北約480メートル・東西約160メートル・周囲約1,200メートルで、面積約は約63,000平方メートルです。
その後のエネルギー転換政策により、1974年1月に閉山、同4月には無人島になりました。











建物数は、建物名として71号棟にもおよびます。





 







現在では島に上陸ができ、建物を間近に見学することができます。
ただし、海が荒れると接岸が難しいので、年間約100日位しか上陸できないそうです。





 





















 





 
この島には、学校・病院・公民館・体育館・郵便局・派出所・理髪店・神社をはじめ、
プール・テニスコート・映画館・パチンコ店までありました。











レンガ造りの総合事務所あと。中に共同浴場があったそうです。












見学コースは第1・2・3広場の三か所です。

当初の島の大きさは、現在の1/3程の大きさの岩礁でした。
その後、周りを6回にわたり埋め立てて、今の形になっています。
 
 


電力確保のため、後に出来た海底ケーブルの穴。


 



 





海底炭鉱であるこの島では、何と海面下1,000メートル以上の所まで採掘していました。





 

 

 

 



↑右の建物が30号棟で、日本初の鉄筋コンクリート造7階建、140戸。(当時は7階建でも高層建築でした)
なななんと、大正5年の建築。
放置されてきましたが、建築史上、大変貴重な建築物です。





プールの跡。
 














 







 

 




 
島を離れます。
 








 
















このアングルからが、軍艦「土佐」に似ていると言われています。





 
 

 








ここから見える建物は、左に端島小中学校、中央に鉱員住宅、右に端島病院・隔離病棟です。
Tabi/世界の建築 2013年2月
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