フランク・ロイド・ライトが設計した当時の帝国ホテル本館「ライト館」は、
現在、愛知県犬山市の明治村にその玄関部分だけ移築されて残っていて、その姿に感じ入ることが出来ます。また、東武ワールドスクウェア(栃木県日光市)では、1/25スケール模型で全体像を見ることができます。
旧帝国ホテル(1921) フランク・ロイド・ライト
当時の帝国ホテル総支配人、林愛作はフランク・ロイド・ライトに本館の設計を依頼しました。
しかし完璧主義者だったライトは相当の予算オーバー、工期の遅れ、設計変更の嵐などで経営陣としばしば対立した結果、
林愛作とともに建築途中に解任され、アメリカへ帰国してしまいます。
その後の設計は一番弟子の遠藤新が引き継ぎました。
ライトは日本との繋がりの中で、日本美術の代表的な浮世絵に興味を持ち、
帝国ホテル設計料のほとんどを浮世絵の購入費にあてたと言われています。
「浮世絵」はそれからの彼の人生に大きく影響して行ったといっても過言ではないでしょう。
ライト館は1923年の関東大震災で、周辺の多くの建物が倒壊・炎上するなか、少しの損傷はあったものの、
ほとんど無傷で震災に耐えました。(間違いという説もあります)1945年の東京大空襲にも相当の被害を受けましたが、
修復されて元の姿に戻っています。
1968年、建替反対運動もむなしく、老朽化と地盤沈下を理由に取り壊されます。
超都心でありながら客室数が少ないことが最大の理由ですね。
もし、残っていたら世界の名建築の一つとなり、多くはアメリカからの観光客が押し寄せていたでしょうね。
モチーフは平等院鳳凰堂。日本的な石である大谷石を多用しています。
大谷石は加工がしやすいが、その分柔らかく軽い。耐火性には優れています。
私の実家が近くにあり、高校の社会科見学で見ているはずなんですが、見た記憶がまったくありません。
当時、明治村なのに明治時代の建物ではない(他にも数軒ある)旧帝国ホテルがあるよと友人がしゃべっていたことが記憶にあるだけです。
なさけない・・・。
エントランス飾柱は、日本の行燈をイメージして造られています。
建物全体はテラッコタ、スクラッチレンガ、彫刻などの調和が、装飾性豊かな意匠を実現しています。
引っかいてつけるスクラッチ模様のレンガは、建設当時のものと復元したものの2種類があります。
1905年にアメリカで行われたポーツマス条約(日露講和条約)の調印の時に、条約内容を会議をした時のテーブルが残されています。
ライトデザインの椅子でコーヒーが飲める2階のカフェ。
東武ワールドスクウェアでの、模型で出来た旧帝国ホテル。全貌を望むことが出来ます。
訪問時、ダンディーな高齢の方が車椅子からホテルをずーっと見つめていたのが印象的でした。
(1/25スケール模型)